ジョーカーはなぜ笑うのか?

作品考察
出典:映画.com

この記事では、映画『ジョーカー』についてのあらすじや疑問点への考察などをまとめています。また、今回上映された映画『ジョーカー』だけではなく、映画史に残る名キャラクターである、アメコミキャラクター「ジョーカー」というキャラクターは一体どういったキャラクターなのか、彼は何を求め、また何を恐れているのかなど、「ジョーカー」自体の考察も、今までの関連作品を絡めてまとめています。

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映画「ジョーカー」に関する情報まとめ

まずは、映画『ジョーカー』のあらすじやキャスト、監督陣などの情報を紹介していきます。

あらすじ

コメディアンを夢見る貧乏な青年アーサーは、ゴッサムシティに母親と二人で暮らしていた。大道芸人として生計を立てていたが、彼には自分の意志とは関係なく笑いだしてしまうという障害があった。長い期間抑圧的な生活に耐えてきた彼だったが、不幸な出来事が重なりうなだれていた時に、自分を罵り嘲ってきた男たちを衝動的に射殺してしまう。その後、敬愛していたスタンダップコメィアンから番組への出演オファーを受け、わずかな希望を感じるが、実は自分を笑いものにするために彼は自分を呼んだのだと知る。その上出自への懐疑や、自分の障害の責任の在りかを知り、彼は狂ってしまう。こうして、心優しい青年アーサーは、犯罪王ジョーカーへと変貌してしまう。

評価

海外から国内まで、権威的なサイトを中心に、映画『ジョーカー』の評価を紹介します。

Rotten Tomatoes               批評家スコア69% 一般視聴者スコア88%

アメリカの非常に有名な映画レビューサイトです。肯定・否定レビューをそれぞれ集計し、パーセンテージで表示しています。肯定50%以上で新鮮、50%以下で腐った、と形容しています。

ニューヨークタイムズ                あなたは私をからかっていますか?

アメリカの著名な新聞紙のレビューです。当新聞社に寄稿している大学教授によるレビューですが、評価は、上に記載した表題の通りですね。テーマや思想の新鮮味のなさに、辟易してるようです。議論を巻き起こしたこと自体は認めていますが、それほどの面白みはないと語っています。

ガーディアンズ紙                           星4つ(星5つ中)

こちらは、イギリスの著名新聞のガーディアンズ紙です。同紙の映画評論家によるレビューですが、主演ホアキンフェニックスの演技を中心に、肯定的な評価となっています。

映画.com                               星3.9(星5つ中)

日本で最も有名な映画レビューサイトのひとつですね。評価は星3.9と高評価。アクセス数ランキングでも、第4位にランクインしています。

キャスト陣や監督の紹介

監督 トッド・フィリップス
主演俳優 ホアキン・フェニックス

製作国

アメリカ合衆国
上映時間 122分
ジャンル サイコスリラー・クライム

監督 トッド・フィリップス

                                出典:映画.com

トッドフィリップスは、アメリカ合衆国の映画監督・脚本家です。ドキュメンタリー映画「全身ハードコアGGアリン」の監督をはじめ、『ハングオーバー! 消えた花ムコと史上最悪の二日酔い』の監督・製作も行っており、1998年のサンダンス映画祭の審査員賞、また、『ジョーカー』で、第76回ヴェネツィア国際映画祭で金獅子賞を受賞しています。

今までのキャリアでは、コメディ映画を多数監督しており、今作では今までと全く違うアプローチでその作家性と主張を表現しています。彼のインタビューの中で、キーワードとして思いやりの欠如や混乱といった発言があり、そういった世界的な混乱や無秩序が今作のジョーカー像発案のきっかけになったと語っています。

主演 ホアキン・フェニックス

                                                                                                               出典:映画.com

いままでたくさんの、ジョーカーが登場する作品が製作されてきましたが、今作のジョーカーは演技俳優として知られているホアキンフェニックスが演じています。彼は、兄が俳優として活動していたため、同じく子役として早くからそのキャリアをスタートさせています。

26歳の「グラディエイター」でのアカデミー賞助演男優賞をはじめ、沢山の出演歴、受賞歴がありますが、今作のジョーカーの役柄である、狂気を内包し、抑圧に苦しむという人物像に繋がる人間を演じた「ザ・マスター」が、やはり彼の演技力、そして危うい空気感を感じ取れる非常に興味深い作品となっています。

彼は、「ザ・マスター」において、退役軍人の役を演じましたが、痩身の猫背、シワの寄った眉間、目に映るすべてのものを眩しがっているかのような目つき。どれをとっても健康だとか安定などとは真逆の印象を感じます。

他人に一歩も立ち入らせない威圧感、そこにいるだけで落ち着かなくなる雰囲気。あけすけで、退廃的で、本能的。かつ、謎めいている。

そんな、ホアキン・フェニックスの役者としての特色が確かに表れています。

この作品では、感情がざわつけばその度に大声と暴力で発散するという人物でしたが、『ジョーカー』では違います。フラストレーションを限界までため込み、大爆発を起こしてしまう男を演じます。

そんな、鬱屈を貯めこみ、何かを秘めている男を演じてきた、ホアキン・フェニックスの魅力を味わう作品として、「ザ・マスター」は非常におススメです。

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映画「ジョーカー」の世界的成功の理由とは?

映画ジョーカーは封切られて以来、R指定映画であり、重い空気を感じさせる作品であるにもかかわらず、興行収入が10憶ドルを突破するなど世界的な人気を誇っています。なぜでしょうか?いくつか理由を考えてみました。

その1.アメコミ映画の流行による恩恵

今作『ジョーカー』の世界的な成功の理由の一つとして、アメコミ映画の世界的流行・成功が挙げられます。古くはバットマン・スーパーマンにはじまり、スパイダーマンやハルク、そしてキャプテンアメリカなどのスーパーヒーロー映画、また、クロスオーバー映画であるアベンジャーズの大ヒットも記憶に新しいですね。

ブラックパンサーは2019年アカデミー作品賞にノミネートされ、アベンジャーズ/エンドゲームは、世界累計興行収入が、歴代1位を記録しています。

アメコミ映画が、映画シーンにおいて、大きな存在感を持っていることは間違いなく、その流れの中で、アメコミヒーロー・スーパーヴィランの中でも特に根強い人気を持っているジョーカーの映画だということで大きな客入りがあったという事が推測されます。

ちなみに、アベンジャーズシリーズは、全作品が世界累計興行収入の10位以内にランクインしています。

また、ジョーカーは1940年、DCコミックの”Batman #1″に登場して以来、様々な作家により解釈を加えられ、作品にされてきました。

今作の『ジョーカー』は、予告編を見てみても、明らかにジョーカーらしくない男が、ジョーカーらしくない生活をしています。彼がなぜジョーカーになってしまったのか、をテーマにした、今までにないタイプのジョーカー作品となっています。そのことが、映画好き、元々のアメコミファン、そしてジョーカーを確かには知らない層を巻き込んで、ここまでの人気になったのだと推測できます。

その2.時代の流れとの親和性と共感

2つ目の映画『ジョーカー』の人気の理由として、ジョーカーの悪に目覚めるきっかけが、強い共感を呼んだため、そして抑圧に対する態度の変化が起きているためだと考えます。

ジョーカーの悪の目覚め、これはバットマンの持っている不殺という信条とも関わってきます。バットマンは悪人を殺しません。演出家や脚本家が作品のたび変わるので、中には犯罪者を殺めているものもあります。しかし基本的にはバットマンはこの不殺主義を貫きます。

そのせいで自分が窮地に追いやられたり、ジョーカーをとり逃すという事が起きています。

ではなぜ、バットマンは悪人を殺さないのか、そこには、製作者たちのある意図が隠されています。

バットマンはスーパーヒーローです。世を救い、人を助ける英雄です。彼は敵を滅する軍人でもなかれば、暗殺者でもないのです。スーパーヒーローは人を殺さない。たとえそれが悪人だったとしても。

また、そこに現れているものは、人を殺すことが、悪を排除することが、世を救うことではないという思想なのです。

これに関しては多くの議論があります。その象徴的なものが死刑制度の存廃議論です。アムネスティや国際連合などの国際機関は、死刑撤廃を基本主張としています。死刑によって正義は達成されないというのです。例えどんな事情や合理性があれど、人を殺す権利は誰にも無いと訴えています。

では、悪はどこから来るのか、悪人は人間として捉えられえるのか。

それに一つの回答を示した映画が、今作『ジョーカー』なのです。

今作では、心優しい一人の青年が、ジョーカーへと変貌していく様を丹念に描いています。この映画は、ジョーカー生誕もとい、悪人生誕の物語なのです。

悪人を排除していった先にユートピアは存在するのか、といった問題提起と、ヴィランは我々の知らないところから来た異次元の存在なのではない、ということを提示しているのです。抑圧は人間をここまで破壊し、狂わせてしまう。悪人になってしまえば死刑で後処理すればよい、それで本当にいいのか、という事を問うています。とても時代を捉えたテーマとなっており、それが人気につながったのだと言えます。

彼が悪人になった軌跡は、彼のコントロールできることだったのか?という所です。

その3。暴力的・反体制派的文化の人気

そこに、ジョーカーのヴィランとしての本来の人気、魅力が上乗せされて、注目を集めました。

反骨、反逆、ルールに従わない、大きなものにひれ伏すことがない、自分の自由をだれにも妨げられることがない、それは誰もの夢でしょう。そういったものはいつの時代も人気ですね。

ロックンロール、ヒッピー文化、ヒップホップ、入れ墨。

少なくともある程度社会で暮らしているならば、誰もが知っています。自分の弱さや不自由さ、諦めるべきこと、我慢しなければならないこと。それは時に必要であるにしろ、多くの場合理不尽に思える束縛に耐えていること。誰もが肉体的実感を持っています。

それを真っ向から否定する者に、羨望と希望を見出すのは、とても自然なことですね。

それは未熟に見えやすくあれど、人の夢であり続けます。

それに関連して、反骨文化に対する評価を考えます。

ロックは、神聖なものに唾を吐きます。がなり声をあげ、ギターの音を歪ませる。それを、うるさいだとか、未熟だとか、真正面から見た印象で価値がないというのはあまりに浅い。人体改造もそう。体に墨を入れ、舌を割り、体中に針を通す。意味不明、理解不能だと、「正しい見識」を持った人間はそう言いますが、彼らはそこにこそ価値を見出しているわけです。理解不能だと言わせるために、不自然で、無意味なことに熱くなっている。

「それがかっこいいと思っているんだろう」大正解で、大間違いです。

なぜ彼らが自分の体を傷つけるカウンターを打たなくてはならなかったのか。そこの部分を考えてみなければ、カウンターカルチャーは理解できませんね。ただ未熟だと軽んじてしまうには、あまりに重大な文化ですから。

話はそれましたが、ジョーカーの魅力とはそういった部分にあるのです。

他作品からジョーカーの本質を探る

前述の通り、ジョーカーはたくさんの作品に登場し、そのたびに少しずつ変化してきています。ジョーカー作品の中でも重要なものを抜粋し、ジョーカーという存在を深堀していきます。

『バットマン』1989年

ティムバートンが監督を務め、ジャックニコルソンがジョーカーを演じました。興行収入の高さや知名度、そしてバットマンシリーズとジョーカー誕生のオリジンストーリーに沿った作品であることから、この作品を紹介します。

後のジョーカーであるジャック・ネーピアは、ゴッサムシティを根城としたマフィアの一員でしたが、幹部の愛人に手を出してしまい、始末されることになります。化学薬品工場で警察隊と銃撃戦になり、そこにバットマンが現れます。バットマンと戦い、ジャックはバットマンに向けて発砲します。しかし、バットマンのスーツによる跳弾が、自分のあごに当たります。そのせいで神経が破壊され、ひきつった笑顔に顔が固まってしまう。そのまま化学薬品を貯めた貯液槽に落下し、皮膚が漂白され、顔が白くなってしまう。

そのせいでジャックは狂気を加速させ、ジョーカーに変貌してしまう。つまり、この作品のジョーカーは元々マフィアの構成員で、悪人なわけです。今作『ジョーカー』で描かれた一般的な男とは言いづらいですね。

そしてこの作品ならではのジョーカーの特徴があります。『バットマン/ダークナイト』ではバットマンを苦しめるための1つの道具として利用した女性を、今作品では、気に入ったから俺のものにすると発言します。

どちらかというと、わかりやすい悪人という印象です。

バットマンシリーズにならってバットマンには固執しますが、嫉妬だとか、邪魔な障害の1つとしてバットマンに執着します。

行動にしても、摂取すれば強制的に笑ってしまう薬を開発し、一般販売されている製品に混入させ、ゴッサムに混乱をもたらす。美術館を襲撃し、絵画にペンキを塗り、骨とう品をけり倒し、美術品を損壊する。

ただ暴れ、壊し、欲しいものを手に入れる。嬉々として己を芸術家と呼ぶ。

このように、幼稚で自己中心的、純粋に取り除かれるべき悪人、社会のガンの象徴として描かれています。

そして、白い顔と黒い仮面、自己中心的と内省的、饒舌と寡黙、快楽主義と禁欲主義、公開主義と秘密主義などなど、バットマンとの対照をなす存在として描かれた面もあるようなのです。ですから、軽薄で本能的、哲学を持たず奔放。そして、マフィアのボスである点。組織を持ち、群れる。

本当に分かりやすい「悪人」です。言い換えると、不可解な部分はありません。すんなりと理解できる忌むべき存在として登場しています。

そして、ジョーカーはバットマンとの闘いで命を落とす。由緒正しい勧善懲悪のストーリーといった仕上がりになっています。

『バットマン/ダークナイト』

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続いて、バットマンシリーズとしても、単体映画としても評価の高いダークナイトのジョーカー像です。この映画は一つの記事にできるほどの内容と著名度のため、あまり深入りはせず、まずはジョーカーを描写している登場人物たちの発言をもとにジョーカー像を見ていきます。

登場人物たちの発言

お金や理屈では解決できない、この世界を破壊したいだけの存在。-ブルースの執事

  お前(バットマン)にルールはあるが、ジョーカーにはルールがない。-犯罪仲間

お前(バットマン)が俺を完璧にするんだ。-ジョーカー

マフィア、警察、そうとも奴らは企んでいる。企む連中はこの世をコントロールするつもりだ。俺は企んだりしない。俺は奴らに思い知らせてやりたいんだ。この世はコントロールなんて出来やしないって。-ジョーカー

俺は混沌の配達人。混沌の本質がわかるか?それは恐怖だ。-ジョーカー

ダークナイトのジョーカー

                                                                                             出典:映画.com

このように、元々のジョーカーの特徴である、残忍さや破壊衝動などの特徴は踏襲しつつも、今までのジョーカーよりも哲学的で独自の考えを持っていることが分かります。一筋縄ではいかない厄介な敵としてバットマンの目の前に現れます。

一つの特徴として、ダークナイトのジョーカーは人質を何度も利用します。その都度バットマンに選択を迫る。人を、バットマンを、世界を試すような言動や行動が一貫してあります。

世界が直面した、正義に対する報復としてのテロリズムや身代金請求などの影響がみられます。正義とは一体何か。それを問う存在としてジョーカーは登場します。

そしてもう一つの重大な特色。それが検事にまつわるエピソードです。

ジョーカーは正義漢である地方検事ハービーデントとその恋人を捕らえ、爆弾の仕掛けられた部屋に監禁します。バットマンは自分の幼馴染でもあるレイチェルの救出に向かいますが、ジョーカーの策略によって、結局ハービーの方を救出することになります。ハービーデントは恋人を失い、自身も顔の半分を失うようなけがを負います。そのことがきっかけとなり、ハービーデントは正気を失ってしまいます。

これが、ジョーカーの狙いでした。どんな人間でも、恐ろしい目に合えば悪に容易に傾きうると分かっていたのです。今作『ジョーカー』に繋がる考えが見えます。他人を使って、自分の考えの正当性を示そうとします。やはり、オリジナルストーリーのジョーカー像とは少し違った印象を受けます。

「1998 バットマン」のジョーカーは、悪魔です。根本にあるのは快楽。己の快楽を、他人を顧みず、追及していく。快楽という大いなる目的のために、あらゆる悪事を働きます。

「バットマン/ダークナイト」『ジョーカー』のジョーカー、そしてハービーデントは似ているようで全く違います。彼らは、いわば堕天使です。堕ちた天使なのです。元々は天使として生まれ、環境と経験によって底の底まで堕ちてしまい、全てを恨むようになった。根本にあるのは憎悪です。目的は破壊。何もかもを破壊すること。この世を、壊れた自分に見合った壊れた世界にすること。自分を拒否した世界を他人を、破壊すること。そういった目的のもとに彼らは動くのです。

そういう意味では、ダークナイトのジョーカーは、今作『ジョーカー』に近いジョーカー像となっています。

ヒース・レジャーの画像・死因まとめ

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このダークナイトのジョーカーを演じたヒースレジャーという俳優は、みなさんご存じの通り、ダークナイトが公開される前に28歳の若さで急逝しています。

公表されている死因としては、薬物の過剰摂取による中毒死だとされていますが、それが事故死なのか意図的なものであるのかは、公表されていません。当時、ヒース・レジャーは病床に伏せていたことと、不眠症にかかっていた(薬物使用に合理的理由があった)ことや、親族が、亡くなる直前元気な様子を語っていることから、ますますその判断は難しくなっています。

その上、インタビューでは、ジョーカーという役柄については非常に楽しいものだったと本人が語っていることもあり、基本的には事故死という事になっていますが、真相はわかりません。

僕はこの俳優をダークナイトで初めて知ったのですが、この怪演ぶりにとても興味を持った俳優だったので、続編や、別の映画への出演を見られないのは残念でなりません。

 

アメコミキャラクター「ジョーカー」に関する疑問点と考察

                                                                                                                出典:映画.com

さあ、本編です。ジョーカーはなぜ笑うのか?

殺戮を繰り返し、あらゆるものを破壊し、そのさまを見て子供のようにの喜び笑う。普通に見てみても、全く理解はできません。実際のところ、その理解不能な印象や狂気の部分が、このキャラクターの魅力の大きなウェイトを占めていることは間違いありませんが、今作『ジョーカー』の描き出した物語によって、一つの解釈をすることができます。

ジョーカーはなぜ笑うのか?

それは、アーサーが泣いているからです。

どういうことか、順を追って説明します。

アーサーはなぜ悪に落ちたか?

ジョーカーは沢山の作家によって自在に解釈・構築され、沢山の面が描かれてきましたが、今作で描かれているジョーカーには、一つの大きな特徴があります。それは、ジョーカーはジョーカーになる前は、ごく一般的な感覚を持つ、とりたてて特徴のない青年であったという点です。

その青年が、あの犯罪王ジョーカーに変貌するさまをまさに描いている訳ですが、ここで重要なのは、いかにして普通の青年が悪に落ちるかという点です。

彼はコメディアンを目指しながら、母親と貧しい暮らしをしていました。うだつはあがらず、一向に芽が出る気配もない。それにトゥレット症候群という障害もおっていた。冒頭から、そんな彼の暮らしが描かれます。町のチンピラから仕事中にちょっかいを出され、追い回した挙句、暴行を受ける。そんな日常を送っていることが示されます。抑圧され、苦渋を飲まされる生活。

そして、ひょんなことから仕事をクビになってしまう。度重なる不幸に、うなだれて地下鉄に乗っていた時に、重大な出来事が起きます。彼が発作を起こし笑っているところを、三人組の男に絡まれます。彼はひどい暴行を受ける中で、衝動的に彼らを撃ってしまいます。これはおそらくこの時点では、殺意というより怒りからの行動でしょう。

もう我慢なるか、いい加減にしろ。と、彼は反撃したのでした。

しかし、使ったのは拳銃です。殴ったわけでも蹴り上げたのでもなく、銃撃したのです。

彼らは死んでしまいました。

これはアーサーがジョーカーになることにおいて、きわめて大きな出来事でした。

もう後戻りができない。俺は普通には生きられない。アーサーはそう感じたことでしょう。

更に、自分は、ブルース・ウェイン(バットマン)の父親である政治家トーマス・ウェインの子供である可能性を知ります。彼は真相を突き止めるために奔走しますが、全ては母親の妄想であることに突き当たります。そして、自分を苦しめた障害も、唯一信頼し、心の拠り所であった、家庭によってもたらされたことを知るのです。

彼は絶望していましたが、一つ、予想だにしない幸運が訪れます。自分のコメディショーが、敬愛するマーレイ・フランクリンの番組で紹介されたのです。アーサーは喜びますが、実際にはアーサーの実力が認められたのではなく、発作によって翻弄されている自分の姿が滑稽だったことを面白がられ、出演オファーの打診があったのだと気づきます。

アーサーは番組に出演し、その場で自害するつもりでした。

しかし、アーサーは、地下鉄の事件の犯人は自分であることを告白し、マーレイ・フランクリンを射殺します。

このようにして、ジョーカーは生まれました。彼は暴力によって解放されました。自分を苦しめていたのは、寛容さであり、穏やかさであり、優しさであったのだと気が付きました。

彼を抑圧と絶望から救ったのは、暴力と残忍さだったのです。

人間は、自分を救ってくれたものは疑えません。それがどんなものであろうと。

それが、薬物だったとしても。暴力をふるう夫だったとしても。核兵器だったとしても。

だから、カルト宗教の信者は生まれ続けるし、世界は変わらないのです。

暴力は、最も原始的で、最もレベルの低い(知性という点からみて)問題解決の能力ですね。

彼はそれによって、全てを解決したのです。

これが、ジョーカー誕生の一部始終です。

ジョーカーはなぜ笑うのか?

さて、それではジョーカーはなぜ笑うのか?です。

ジョーカーはジョーカーとして生まれたのではなく、アーサーとして生まれ、ジョーカーになったという風に描かれています。

それならば、ジョーカーにとって怖いものとはなんでしょうか?

人を殺すこと、何かを破壊すること、疎まれること、嫌われること、理解されないこと、何一つ恐れているようには見えません。そして、人間にとって恐怖の根本であるはずの「死」に対しても、怖がっている様子はありません。

では、彼に恐怖はないのでしょうか?いや、一つだけあります。彼にとって、心から恐れていることが一つだけあります。

それは、アーサーにもどってしまうことです。

ジョーカーは、抑圧された青年アーサーが、暴力によって解放されて生まれた存在です。

馬鹿にされ、軽んじられ、無視された、無力と苦痛の象徴、それがジョーカーにとってのアーサーなのです。

そのアーサーに逆戻りしてしまう事こそ、ジョーカーの唯一恐れていることなのです。

では、アーサーへと戻ってしまわないためには、ジョーカーはどうすればいいのか?

自分の中から、アーサーを消し去ってしまうことです。

良心を、寛容さを、人間性を、完全に失ってしまうことです。

つまり、人を殺すことです。何かを破壊することです。

ジョーカーには目的がないといわれますが、それは違います。アーサーとの通路を完全にふさぐこと、もはや人間ではなくなること、それがジョーカーの目的なのです。

だからジョーカーは人を殺し、笑うのです。何かを壊し、喜ぶのです。一つ一つアーサーへの道を塞いでいくことが、彼の目的であり、理想であり、夢だからです。

アーサーが望んでいなかったこと、アーサーが嫌っていたこと、それをするからジョーカーは生きられるのです。

犯罪を犯しジョーカーは笑います。その裏でアーサーが泣いています。アーサーが泣いているとき、ジョーカーは笑っているのです。

ジョーカーはなぜ笑うのか?それは、アーサーが泣いているからです。

あの穏やかな青年だけを、ジョーカーは恐れているのです。

まとめ

 

以上でジョーカーへの考察を終わります。

上で触れられなかった点として、狂気と良心の関係があります。

僕の理論が正しいと仮定するならば、もしアーサーが三人を殺害したことを認められていれば、自分の中に受け入れられていれば、ジョーカーにはならなかったのではないかと思うのです。自分が犯した過ちを受け入れられたなら、あそこまで狂わなくても済んだのではないかと思うのです。ですから、狂気というものの重要なパーツとして、潔癖さや真面目さ、根の素直さが指摘されているという点も、この映画の魅力として付け加えておきます。

悪は取り除けばいいのではない。悪や犯罪というものの対策は、切除手術ではなく予防医療なのではないかという、考え、そして、死刑廃止への流れとバットマンの不殺という哲学の根拠も示した映画と言えるでしょう。

悪は我々の知りえない場所から来たのではなく、悪へと変貌したのだという事、そして、その責任は、100%彼らだけにあるのかという疑問。

僕にも、あなたにも、そしてバットマンにもジョーカーへと変貌してしまう資質が認められたという事です。

誰もがジョーカーになりうる。

そして、それは経験と環境によるもので、悪と本人の意思との関係は、我々が思っているほどの太い線で繋がっているわけではない。ということです。

現代に生きる人間にとって、とても重大なことを問いかけている映画だと感じました。

コメント

  1. White Label SEO より:

    Awesome post! Keep up the great work! 🙂

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