ハラスメントと羽交い締め

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ここ何年かで、ハラスメントという言葉がよく使われている。セクハラパワハラに始まり、アルハラ、アカハラ、モラハラ…。聞いたことさえないようなものも、どんどん開発されている。

中には、ハラスメントを量産している、わざわざ、存在しない問題を作り出している、と語る人もいる。果たして、今まで良しとされていたことがしてはいけないことになったのか、本来してはいけないことが、不正に行われていたのかは分からない。

ただ自分としては、これは、一過性の問題ではないし、誰もが無関係なことではないと思う。これは、とても重要なトピックだと思い、書いてみることにしました。

ということで、ハラスメントの記事です。

ハラスメント問題

まず、ハラスメントとはなにか。

辞書を引くと

ハラスメント(造語)何らかの方法で当人に苦痛を与えるようなことをすること。また、その苦痛。

新明解国語辞典 第七版

とある。ちょっと抽象的すぎるな…。

自分なりに注釈を加えると、逆らえない立場、状況、関係にあるものに対する、一方的なコミュニケーション。というところかな。

そして、このハラスメント問題の本質。なにが、問題になっているか。なにが原因で、誰が困っているのか。もちろん、被害者の苦痛だ。あらゆる意味における「弱者」への、「強者」の暴力が問題になっている。

なら、暴力=苦痛なのか。人は言う。弱者への暴力をやめろ。女性への、子供への、従業員への、加虐をやめろと言う。でも、僕はそうは思わない。というより、その認識が、この問題の本質をついているとは思わない。

ハラスメントを辞めろ、では、解決策にはならない。

暴力≠苦痛

被害者の苦痛に、もちろん暴力は深く関係している。暴力がなければ、もちろん、何の問題もなかった。でも、苦痛の内訳には、間違いなく別の何かがある。

ハラスメントを受けて、生活を、キャリアを破壊された人々の話を、ネット記事で読んだ。ブログで読んだ。なぜ、彼ら彼女らは、こんなにも苦しむのか。

それは、反撃が出来なかったからだ。

実は、ハラスメント被害者の苦痛の大部分は、反撃が出来なかったことから生まれるのだと思う。

明らかに理不尽なことをされたとしても、反論できない。反撃もできない。だから、無力感、不能感、後悔、自分への怒りに苛まれることになる。

もし、なにか不快だと思うこと、理不尽だと感じることに直面した時に、きっぱりと反論、反撃が出来ていたなら、ここまでの、人生を蝕むような苦痛には育たなかったんじゃないかと思う。

弱者(だとされている人)への暴力の、最も悲惨な点は、そこにあると思う。反撃を許さないことこそ、本当の暴力だ。

羽交い締め

ではなぜ、反撃が出来なかったか。怖かったからか、そんな力が無かったからか。違う。世間が許さないからだ。

子供は親に逆らってはいけない。女性は声を荒げてはいけない。ましてや、暴力なんて振るってはいけない。従業員は、客に従わなくてはならない。部下は、上司に謙っていなければならない。

誰もが、そんな認識を知らず知らずのうちに持ってしまっている。知らないうちに、弱者(だとされている人々)に、圧力をかけてしまっている。

してはならない。こうでなくてはならない。こんなことはあってはならない。そんな世間の呪縛で、ハラスメント被害者は、加害者と世間の間で、板挟みになる。

言わば、世間によって、羽交い締めにされているということになる。強者(だとされている人々)は、無抵抗をいいことに、やりたい放題になる。

この羽交い締めが解かれない限り、この手の暴力は、酷くなる一方だと思う。

重要なのは、暴力を無くすことではなく、無抵抗を強いることを止める、ということだ。

ハラスメント被害者は、ハラスメントを受けた場合、同時に二つの戦いをすることになるということ。片方は強者(だとされている人)、もう片方は世間。

世間と戦う。つまり、最強の敵との戦い。こんなものに勝てる人間は存在しない。全員負ける。今まで誰も勝てなかった。これからもそうだ。個人が永遠に勝てない存在。それが世間だ。

そして、世間とは僕だ。あなただ。

一人一人が、羽交い締めの腕力に参加していることを、自覚するべきだ。

ハラスメント問題は、単に一対一の問題ではない。

強者と弱者

強者と弱者、この記事では、この二語の後に、括弧をつけてきた。そこには、自分なりの思いがあるからだ。

強いとは、どういうことなのか。弱いとは、どういうことなのか。果たして、世間にケツをもたせて、無抵抗のものに、振る舞いたいように振る舞うのが、強者と言えるんだろうか。

指摘にも、意見にも、反論にも、耐えることができない。そんなグラグラの自信の持ち主が、強者と言えるのだろうか。本当に強者なら、反論を許すべきだ。反撃を、許すべきだ。

封じ込めは、共倒れの鎖だ。上のものは、改善の機会を失うし、下のものは無力感に悩む。全員が、等しく堕落していく。

世間の圧力。一見無関係に思える立場の人間にこそ、この問題の解決の糸口が潜んでいるような気がしてならない。

僕は、ハラスメントの被害者になったことがある。多分、知らないうちに、加害者になったこともあるはず。弱いということ、強いということ、すべて、自分の人生を覆ってきたテーマだ。だから、このトピックに関して、ちょっと冷静でいられないところがある。

弱いってなんだ。

強いってなんだ。

大地と建築物の関係を知っていますか。

乗っかる方はいつも情けないんだ。

乗っかられる方は、いつもたくましいんだ。

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