凶悪犯罪はモラルの低下がもたらしたのか

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なんだか最近、ニュースで国内外を問わず、ヘイトクライムというものを目にする機会が多くあった。銃乱射事件、無差別加虐事件、そして、京アニ放火事件。

どれも、恐ろしい事件だ。平穏な日常に突如として現れた無差別暴力。亡くなった人々、大切な人を失った人々、罪のない人が背負わされたもの。

こういうものを見ると、つくづく思う。人生は、出会えた人間と、出会わなくて済んだ人間とでできている。

さて、こういった事件が起こると必ず論じられるモラルの低下や道徳観の問題。やっていい事といけないことの区別がついていないだとか、命の大切さを知らないだとか、教育機関の道徳教育が行き届いてないだとか、そんなトピックが持ち上がる。

モラルの低下がある。だから、こういった事件が起こる。

本当にそうだろうか?本当に、加害者のモラルが低下したから、命の大切さを知らないからヘイトクライムは起こるんだろうか。

憎悪犯罪はどこから来るのか。

僕は、彼ら加害者に、モラルや道徳観は、あったと思う。おそらく、僕たち普通の人間と同じレベルで。では、ちゃんとした倫理観があったにもかかわらず、事件を起こしたのか。命の大切さや、善悪の区別がありながらなお、その悪夢を実行したのか。

違う。

命の大切さを知っているからこそやったんだ。やっていい事と、やってはいけない事の区別がついているからこそやったんだ。それは、してはいけない事だから、やったんだ。

憎悪犯罪は、そういう仕組みで起こる。無差別に人を殺傷する事、それはしてはいけない事だからこそ、自分の憎悪や、存在の希薄さ、世間に対する恨み、そんなものを表現できる方法になっていくんだ。自分がいかに追い込まれていたか。自分がいかに、憎悪を溜め込んでいたか。自分がいかに、苦しんでいたか。それを、効果的に伝える方法になっていくんだ。

「なんてひどいことをするんだ」

この言葉をこそ求めて、彼らは人間をやめたんだ。彼らが事件を起こしたのは、決して、善悪の区別がついていないからではない、命の大切さを知らなかったからではない。

むしろ、的確に、善悪の判断がついていたが故に、こういう事件を起こしえた。悪事を、やってはいけないことを、冷静に選択できた。

これは、少し極論になるけど、彼らの道徳観がもう一つ上の格にあったなら、もっとひどいことをしたと思う。なぜなら、さらに的確に、悪いことを見極められるからだ。

現実に、そうなるかどうかは分からない。ただ、憎悪犯罪と道徳観の関係には、そう考えてみる余地があるんじゃないか。

ともかく、倫理観だとか、モラルだとか、そんなものがストッパーになり得ないほどの心理状態に陥っていることが問題だ。

悪いことをしてはいけない

悪いことをしてはいけない。人に迷惑をかけてはいけない。この言葉を言えば言うほど、むしろ憎悪犯罪を育てる栄養になりうる。彼らが人の道を真逆に走り切るための方角を知る、コンパスになる。

してはいけないなんて、分かっているんだ。良いこと悪いことの区別はついているんだ。この問題はそれ以前の段階に、軸がある。こういった犯罪の解決の糸口は、議論の場では見つからない。むしろ僕たちの日常の方に転がっている。

加害

そして僕は、はっきりと言う。この世に、人を殺傷できる人間なんて、存在しない。ならなぜ、殺人事件は起こるのか。なぜ、彼らは人を殺したのか。

それは、目の前の人間を、人間だと思っていないからだ。

自分と同じ人間だと捉えず、「邪魔なもの」「鬱陶しいもの」「自分の目的を果たすためのもの」だと思っていればこそ、殺人は可能だ。そうでなければ、どんなひどい事件も、あんなことも、ありえない。

他人を、自分と同じ人間ではないとみなした時点から、既に殺人は始まっている。

人間を、人間のままに、殺すことのできる人間は存在しない。

無差別殺人、テロリズム、これらは、こと物理的な視点のみに立ってみると、とても簡単なことだ。これを防ぎ切るのは至難の業だ。そんなことは起こらないと思って僕たちは暮らしている。だから、事件が残虐(想像できないこと)であればあるほど防ぐのが難しいという構造がある。

だからだ。重要なのは、彼らをなぜ止められなかったかじゃない。なぜ、動き出したかだ。

悪魔の言葉

話は変わるけど、僕には心から嫌っている言葉がある。

「遺族の前でそんなことが言えるんですか」

大っっっっっっっ嫌いな言葉だ。吐き気がする。悪魔の言葉だ。いや、悪魔でさえこんな言葉は思いつかない。この世で一番嫌いな言葉かもしれない。書いてるだけでイライラする。

そんなことを言うなら、お前も加害者の仲間だぞ、という脅迫だ。善というものを盾に取り、数の裏に隠れて、人間の知性を目減りさせる言葉だ。本当に大っ嫌いだ。

悪いことをしてはいけないという言葉も共に、効果は疑わしいな。こんな言葉が届かなくなった人間だけが、悪いことをするんだから。それで改心したり、思いとどまるような人間は、事件なんて起こさない。

さあ、そんな人間に届きうる言葉とはなんだろうな。そんな言葉は存在するんだろうか。僕が日常から掘り起こす言葉の中に、そんなものが一つでもあるだろうか。

思うと、このブログでは、内省ばかり書いてしまっている。どうやったら、まともな大人になれるか。ばかり考えている。

それはおそらく、世間の騒音に耳をすませると、「お前は大人になるな」という声が、聞こえてくるからだ。

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