Vフォーヴェンデッタ 1

作品考察
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そう、Vフォーベンデッタ。遠い昔に初めて見て以来、何度も何度も繰り返し見ている、僕の大好きな映画です。何回見ても素晴らしいし、新たな発見がある。映画の主題だとか、登場人物だとか、ものすごく水が合う。

主人公の一人であるV、詩のような言葉、恨みの道、抑圧、強い共感を持つ。ただ、そのどっしりとした自信だけが、僕にはない。彼は、現実には存在しない。もちろん創作であるし、架空の人物だ。それでもやっぱり憧れている。

いつか来るであろう夜明けのように、彼のことを思っている。

彼のようであれたらと、何度も思った。彼だけじゃない。自分の道を強く生きる人達をみて、あんな風であれたらと、いつも思う。自分の道を生きるということ、手製の夢の中で生きること。例のごとくネタバレを交えながら、思うところを。

主人公は、世界第三次大戦を経て、独裁者の治める国になってしまったイギリスに住む女性。夜間外出禁止令が施行される中、友人の家を訪ねようとする。その道中で秘密警察に捕まり、襲われそうになる。そこに、仮面とマントに身を隠す一人の男が現れ、救い出される。

主人公は当惑する。言葉、装い、全てが不自然だ。男の言われるまま、裁判所が見える場所まで移動する。突然街中のスピーカーから音楽が鳴り出し、裁判所が爆破される。テロリズムだ。

かつて、火薬陰謀事件を企て処刑された、ガイ・フォークスに倣い、火薬を以って、悪政に痛手を負わせるべく、男は生きているらしい。彼の理念を愛し、ガイ・フォークスの仮面をかぶっている。

城、国立の施設、宗教的建築物、これらはただの、人の住む箱ではない。そこには、住む、ということ以上の意味がある。象徴としての意味だ。それらが破壊されることは、ただ一つの建物が壊れるということにはとどまらない。その建物の意味というものを拡声器のように利用して、仮面の男は、社会を変えようする。男はVと名乗った。

主人公の職場は、放送局だった。彼女は辛い過去を乗り越え(押し込め)、平凡に暮らし、普通に働いていた。そこに先日の、仮面の男Vが、またしても現れる。

用意周到に放送をジャックし、来年の11月5日に、国会議事堂に集うことを提案する。果たしてこのままでいいのかと、皆で立ち上がることを提起する。

Vは、放送局からの脱出に際し、圧倒的な体術とナイフ術で、警官をなぎ倒していく。しかし、不意に現れた刑事に、背後を取られてしまう。そこで、主人公はとっさに、刑事に催涙スプレーを浴びせ、Vを助ける。

ブイの隠れ家で目を覚ました主人公は、国家に背いたことに恐れおののく。刑事を攻撃してしまったこと、テロリストを助けてしまったこと、そして、目の前のテロリストに対して、少なからず好感を抱いていること。あらゆる葛藤の中で、主人公は迷う。

主人公は、過去の家族に関する記憶を除けば、平凡な女性だった。平凡に暮らし、平凡に一生を終えるはずだった。が、映画の最後では、全くの別人になってしまう。良いことか悪いことか、それはともかく、別人になった。その引き金になった男、V。このVという男の出現で、映画の中のすべてのものが変わっていく。

この、Vという男のこと、とても重要なことだから、先に語ってしまおう。彼は何者で、なぜ、そんな行動をして、なぜ、仮面をかぶっているか。映画の中で徐々に明かされていく真実を、書くのを待ちきれないから書いてしまおう。

彼は全体主義の、犠牲者だった。政府にとらわれ、生物実験の被験者にされた。新たな生物兵器開発のために、強制収容され、ウィルスを体に打ち込まれ、モルモットにされた人間の一人だった。彼は、夥しい数の実験台の、生き残りだった。

のちに見せる高い身体能力も、耐久性も、その実験の賜物だ。彼が押し隠すその表皮も、その一連の事件の中でもたらされた。彼の皮膚は焼けただれていた。ある時、実験施設が爆発事故を起こす。積み上げた実験の成果とともに、彼もまた、炎に焼かれた。そこで、彼は政府の元から逃げおおせ、復讐者となった。

大まかに説明すればそういうことになる。彼は、復讐に燃え、同時に、正義にも目覚めた。そして、ゆっくりと練り上げた計画を実行に移し始めたその時に、主人公に出会った。

彼をVにしたのは、言うまでもなく不幸だ。政府にとらわれ、問答無用で体にウィルスを打ち込まれた。酷い苦痛を強いられ、全てを奪われた。職があったろう。家族があったろう。読みかけの本があったろう。夢が、生活が、彼にはあったろう。信じがたい苦痛だ。耐えがたい不幸だ。

それなら、彼は、閉じ込められたか。彼の道は閉ざされたか。僕は思う。それは違う。Vへの道が開かれた。

僕は、ブログを書いている。恐らくは、自由に生きたいのだ、と思われることだろう。でも、そうじゃない。それは違う。

壁無くして腕力はない。陸無くして脚力がない、ということを以前の記事で書いた。同時に、枷無くして自由もまた無い、ということを思う。https://room1024.com/ディストラクションベイビーズ-暴力編

僕は、空を飛ぶことが出来ない。だから、空を飛べない苦しみを知らない。今日も歩いて、スーパーまで行くことが出来る。その自由を持っている。もし、空を飛ぶ能力を持ったなら、歩くことに耐えられるだろうか。僕はその不自由を知らない。空を飛べないからこそ、地面を歩く自由を持っている。

微生物を引き合いに出してみる。彼らはただ、分解をし続ける。自然の中で不要になったものを、ただひたすら、分解し続けて一生を終える。

それしか出来ない。だから、それをやっていればいい。

完璧な人生だ。完璧な自由だ。分を超えても、分を割ってもいない。そんな風になりたい。

現代は自由になった。身分、職業、生まれ、そんなものが自由を阻害することもなくなった。それ自体は良いことだ。何処へでもいける。何にでもなれる。自由への扉は開かれる。

ただ、人は依然として、いや、以前にも増して不自由だ。

自由への扉は、同時に、どこかへ行かなければならないという、不自由を課す。どこにでもいける。にも関わらず、そのほとんどの扉は通れない。体は一つしかない。どれだけ扉が開かれようと、行けるのは、そのうち一つだけだ。

結局のところ、この扉を開くしかない。それが、自由だ。

自由を持っていれば持っているほど、何かを選択した時に、諦めなければならない自由の量は多い。

彼は、Vになるしかなかった。彼は、そう定められていた。あの、恐ろしい不幸が、それには不可欠だった。この不幸がなければ、どのルートを行ったとしても、Vには達しなかった。

彼は、強いられた方向に解放された。それが、彼の自由だった。

つづく

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